あたらしい毎日
昨日 娘ともども元気に退院することができました。
先週の金曜の夜、あわただしくでていった
時と何もかわらない部屋に彼女を抱いて入った
瞬間、涙がこぼれてしまいました。
私の私だけのための人生は
この赤ちゃんの誕生とともにF i n a l eです。
何も 思い残すこともありません、
最高のかたちで 終わりにすることができました。
この約10ヶ月 すでに十分に親孝行をしてくれた娘です。
高齢な私につわりの苦しみを与えないでくれたよね
切迫早産や大きなトラブルになることなく
毎日ストレスを感じることもなく限りなく普通に近い
生活を送らせてくれたよね、
お腹のはりもそんなにひどくなかったから
早くから胸のマッサージもすることができたよね、
そしてちょうどよい大きさで
負担にならないように、スルスルって
上手にでてきてくれたんだってね、
看護士さんがほめてたよ。
40週と2日間 本当にありがとう。
これからは
この子にたくさんの愛情を注いであげたいと
思っています。
いつか 彼女が大人になって
この家に生まれてきてよかった
って思ってもらえたら
ほんとうに心からうれしい・・・・。
◇ 出産まで ◇
今思うと、結局、これが「おしるし」というものは
なかった。
金曜夜、彼が海外出張から戻る日、お腹も安心したのかな、
19時ごろ夕食を終えたあたりから
生理痛のような痛みがあった、けれど
なんだか さすがに今週じゃないような気がして
違うと疑わなかった、
が、しかし 20時、これ ありえるかもぉ~、と
思い始める、だって 非常に定期的、
そして時計をみてカウントを開始、
10~12分、まじじゃん、と
もしもそうなら 0時を回る前に病院に入っておきたい、
深夜の移動よりも、
と 最後のパッキングをはじめる、
このあたりで 羽田から電話、あと1時間くらいで
戻るとのこと、
だんだん ますます規則化してくる、でも
このときはまだまだ余裕の痛み、
病院への連絡事項の項目や持ち物リストの確認、
ダイニングの整理などをして待つ、
ようやく彼が戻ってきた、
荷物を置くやいなや、この最高のタイミング?で
陣痛がきてることを知って大動揺、
とりあえずここで病院へ電話。
「きてください」とのこと。
呼び出しタクシーを呼んで、23時25分、ちょうど
英語でしゃべらナイトを見て
家を出発。
0時 病院へ、
あらら、なんと車椅子が。いやそんなに、と
恐縮しながらも もしや生まれてはじめてか?の
車椅子での移動。
まず 体重を測定させられる、59キロか、
結局私の最終増加は10.5キロなり、だ。
そして 先生登場で内診台へ、
2センチ、でも 入院しましょう、とのこと。
「陣痛苦しみ台」へ向かった。
なるほど陣痛ってこういう痛みなんだ、って
ようやく理解、
かわいそうだなぁ、昨日も夜でかけたりして
ほとんど寝ていないのに、この時点では
私より疲労困憊の彼が横で
すでにボーゼンとしていました。
監視台の装置がお腹につけられて
その音だけが響いてる、蛍光灯が明るすぎるくらい
こうこうとついてる、
もっと 環境音楽に あったかい間接照明に
しろよ、と余裕でつっこめたのも
3時までだ、
この間 GBSの点滴も打たれる、
うでがふさがれるとつらいわ。
3時を過ぎると
まじな陣痛、モニターの音が弱くなるのが
痛みのはじまるサイン、
きたきた、いたーいっ!!!!
終わった点滴のついていたポールに
しがみつく、痛い、痛い!
持ってきた ゴルフボールも
うちわも何も必要なし、
アロマなんてそんな余裕がどこに
ある、飲み物も病院にきてからは
3口飲んだだけ。
吸ってはいての呼吸をかろうじて
やっているけど
吐くというよりうなってるって感じ
んーっいたぁーいなんて
かわいいタイプのものではなくて
女子プロレスのうぉっいだぁ系のうめき声に
なってる。こんなのあと何時間続くの?
今 10だっだらどこまできてるの?
看護士さんは今いちばんつらいときですから
っていってはくれたけど、ほんと
つらい。でも もうすぐだ、ってなぜかもうやめて
って思う気持ちはなかったかも。
痛みに さらに 便意というか尿意というか
熱いものが下がってきている感じ、
7センチといわれてから1時間後ぐらいかな、
いよいよ内診で全開です、との声が聞こえた。
このとき 熱いお湯みたいなのが流れて
ああ これが破水なんだって思った、
誰かにささえられていたのか
自分で歩けたのかよくわからないけれど
とうとう分娩台に上った、下のほうでは
看護士さんがたぶん毛をすこしそっていたのかな、
「頭見えてるわよ、がんばって」
3人の看護士さんに見守られてた、
みんな優しい、
ここでようやく医師登場、
冷静そうだけど 無言・・・
でてきてるのかでてきていないのかわからなかったけど
数秒?数分あったのか、
赤茶色の物体が目の前に現れて
1,2秒後に泣いていた、
あの何度もテレビやビデオで聞いた
お母さんからでたばかりの赤ちゃん、
ずっとずっと私の赤ちゃん、泣かなかったらどうしよう
って不安だった、でも泣いてる、
ワーワー泣いてしまった。
赤ちゃんはすぐに目の前に差し出されたけれど
かわいい、それしか言えなかった。
それから 彼女はすぐに別の部屋でのチェックのために
つれていかれ、静まり返った部屋では
後処理が行われた。先生がなにか縫っていた。
チクチク痛かったけど、痛いっ、と言ったけど
無視され、すべての処理終了後、
「終了です」と言っただけで
立ち去ってしまうくらい、お産というドラマには
不適当な先生だったけど、まぁどうでもいい、怒りの
感覚は完全に麻痺してたから。
しばらくすると 赤ちゃんがもどってきました。
私の横に置かれて、数十分、彼も入れてもらえて
3人で過ごすことができました。
彼は 出張明け完徹になっちゃって
よくがんばってくれました。
もう笑顔で 携帯で 撮影してた。
お腹はちょっと痛かったけど
意識もしっかりしていました。病室に移されるまで
どのくらい分娩室にいたのかはよく覚えていないけれど
病室に移されて 2時間くらいぐっすり眠ったら
確か9時ぐらいになっていたはず。
さっそく 朝食を食べ、
担当の人が来て 今後のスケジュール説明など
してくれました。
もう午後からは母子同室だとのこと。
こうして6日間の入院生活がはじまっていきました。
苦手な集団生活もこれだけ境遇の似た集団が集ってるわけで
あまり苦痛でもなく、
体調も2日目くらいからは横浜あたりなら買い物もいけそう
ってくらいに元気でいられたし、
ただ母乳大推薦の病院だったので
まだまだピューピューでるまではいかない私の
母乳ではなかなか足りずに授乳後の搾乳と
とにかく1日中 おっぱいとともに みたいな毎日でした。
助産婦さんも看護婦さんもとてもやさしくて
ここで出産できてよかった、
退院が近づいてくるにつれて
ひとりになったら些細な心配事に答えてくれる人は
いないんだ という不安もでてきたりしながら
26日の退院日の朝を迎えました。


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